松浦亜弥までの道のり5

ダック少年はキャロルが解散してしまった後、バンドの真似事もいつのまにかやめてしまい、東京の私立の男子校で意外とまじめで明るいのが特徴の高校生でした。
遊び部の連中の「踊りさえうまけりゃ絶対モテル!」との噂を耳にしまして、遅ればせながら歌舞伎町でディスコデビューするために日夜ダンスを練習しておりました。(写真はその頃の人ならみんな知ってるヒットナンバー、?のはず)「フーフー」とニュートラで決めて、ファンキーを踊ればモテまくりのはずでした。
結果は毎週「食って飲んで汗をかくだけ」でした。おまけに2度ほど痛い目にあい、仕返しをしてくれたお友達が退学になったり、と新宿ではつらい思い出ばかりです。
その後ディスコの舞台が六本木へと移りブラコン主流でサーファーファッションになってもずっとファンキーを踊っていましたらこれが割とウケまして、何度か「フィラのポロ(タッキーニも)」&「エンジェルフライト」を脱がせた事があったとか。
亜弥さんのパパ、ママの世代だとハイエナジーでしょうか?関西でディスコと言えばどこなのかな?